さて、彼は税関吏の息子として生を受け下級学校では才能はあるとされながらもあまり良い成績を残せなかった。そして彼は美術に関心を示すようになり画家を志すようになる。この頃から作曲家であるワーグナーに傾倒するようになる。
(ワーグナーはワルキューレの騎行で有名なあの人)
そして画家として細々と生活しながら図書館で哲学や歴史に関する書物を読み漁りその中で
徐々に反ユダヤ主義や人種理論へと傾倒する。 ここで一応説明して起きたいのはユダヤ人に対しての差別意識はヒトラー固有のものではまったくなくヨーロッパでは中世から延々と続いている流れの一つである。
理由は宗教の違いが一番大きいかもしれない、基本的に一神教であるキリスト教、ユダヤ教、イスラームなどの根本的な考え方は同じであり源流となっているのは同じ宗教だ、唯一神は存在する、ただその解釈などが異なる。その上、ユダヤ教は自民族が神から選ばれた特別な選民であるという思想を持っている。こういったことを加味するとアーリア人が優秀だという説を主張していた学者や政治家を一概におかしいというのはやや難しい。時代と国によるが割りと一般的にこの手の差別は存在する。というよりはヨーロッパでは今もユダヤ人差別は残っているといってもいい。
何が言いたいのかと言えばヒトラーやナチスドイツだけを取り上げて異端扱いするのはどうだろうか?ということだ。
当時はダーウィンの定説した進化論が派生(曲解とも)した社会進化論が学問として研究されていたこともある。事実、イギリスの人類学者ゴルトンはダーウィンの進化論から優生学という学問を誕生させ、家畜や植物の品種改良と同じように人類に対しても繁殖の取捨選択をすることで社会の改善ができると考えていた。もっともただ自分の政策に沿うように曲解しただけともいえるが。
さて話がそれてしまったがヒトラーはこの後しばらくして第一次世界大戦が勃発し志願兵として兵役につくが、ドイツ帝国は敗戦。(当時はまだドイツ帝国)
そしていよいよヒトラーは政治活動へとその身を当時始める。彼はドイツ労働者党へ入党しその並外れた演説の才能を開花させていく。この演説の能力によって党員を集め、徐々に党の中で独裁な立場に席を置く。
入党後様々な活動を経て急速に『国家社会主義ドイツ労働者党』、いわゆるナチは成長していく。この成長の下地には第一次世界大戦の天文学的な賠償金による経済崩壊(当時、ドイツでは失業率が7割を超える状態)に加えて世界恐慌の影響もあり社会的にガタガタの状態だったことが上げられる。
そんな誰もが明日への不安を抱え、誰でもいいからこの状況をどうにか好転させてくれと国民が願う中でそれを実行しようと公言する政党が現れる。それがヒトラー率いるナチスだ。
ナチは経済に大きな打撃を与えた原因である敗戦時の講和条約、ヴェルサイユ条約を反故にすることを訴えた。
(ヴェルサイユ条約では1320億金マルクもの賠償金と海外におけるドイツが持つ領土・植民地の没収、軍備の解散などを非現実的なほどの要求をしていた)
これらによって民衆から圧倒的な支持を得たヒトラーは国家元首として議会に就任する。この頃からいよいよナチスによる独裁政治が始まる。
ヒトラーはヒャルマル・シャハトなどの優秀な人材を抱えて公共土木事業や市場への介入などによって経済の安定化を図った。(これによって失業者は大幅に減少する)
また、ヴェルサイユ条約の破棄を宣言し軍備の再編成を行う。ドイツ経済は持ち直しはしたがそれでも不安定なことに変わりは鳴くヒトラーはその解決方法として植民地の拡大を考え、周辺国へ侵略を始めた。
というのが大筋であり、これ以降は大体の人が知っている通りだ。
しかしながらホロコースト(ユダヤ人虐殺計画)はそもそも存在しなかったとする学説も最近有力である。真実がどうであるかは触れない、というよりはわからないがわからないことをわからないと認識しているのが重要だと思うときもある。多くの人は恐ろしいほど不確かなほどを酷く信頼してしまっている。
ちなみに、ドイツ、フランス、チェコなどの数カ国では何故かホロコーストを否定すると刑罰の対象となる。実際、ナチスが虐殺を命じた命令書はなかったり、虐殺に使われたという収容所のガス室(とされている建物)がガス室として使われた形跡も使える性能もなかったりするという話を聞いているが実際のところはどうだかわからない。それは各自調べて欲しい。
これらから言えることはあまり多くはないが、ヒトラーがやった行為が間違いであったとしてもその根本にあることは決して間違いではなく明日の見えない暗い社会で困惑していた人々を救おうとした一面があることを忘れないで欲しい。
PR