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 難しいことを考える必要はないけれどまったく何も考えないというのはあまりよくない。 知るというのも同じ、運動についても同じ。 専門的に、極端にやる必要はまったくないけれど少しはやったほうがいいと思う。
14 . July
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02 . March
 話はまったく関係ないが走る・歩く・立つという基本的な行動も本能ではなく学習によるものらしい。つまり、泳ぐとか字を読むのように後天的にトレーニングして行えるようになることのようだ。そのため、誰かに立つことを訓練してもらったり誰かが立っているのを見て自分も真似しようとしないとできない。このため、非常事態に陥って取り乱すと稀に脳から知識が零れ落ち上手く立ち上がったり歩いたりできなくなる。それでも原始的な行動である呼吸などはできる。これは先天的な行動なのだろう。

 何故、無関係の話に飛んだのかというと何故か多くの人は文章というのが技術であるということを認識しておらず文章が書けないのはきちんとした訓練を受けていないせいなのに自分に才能がないからだと勘違いしているためだ。文章にしても絵を描くにしても走ることさえもきちんとした訓練や教育を受ければ9割がたはなんとかなるものだが、そういった機会に恵まれる人は少ない。機会さえあれば自分から進んで飛び込むことをお勧めしたい。
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23 . February
 

 まともに小説などを書いたことのある……もしくは書こうと試みた人間なら知っていることだが、小説におけるもっとも重要な点は主題と構成だ。

 意外に感じるかもしれないが小説というのは緻密な計算の元に名作が生まれる、何も考えずに頭に浮かんだことをただそのままに書いたとしても大した作品にはならない。特にそれが長文であればあるほど。

 表現や文章を書く巧さは確かに小説を書く上で必要になる技術でも有るが、実際にはきちんとした指導者や校正者がいれば重要なことではない。小説と論文やエッセイなどの文章は一見かけ離れたものに見えてもきちんと考えられた構成としっかりとした伝えたい何かが存在し、それを読み手に伝えるという点ではほとんど差異はない。
15 . February
 音楽でよく言う練習曲(エチュード)は二つの種類があり、ブラームスのピアノ練習曲のような文字通り楽器の扱いになれるための単調で大抵全ての音を出すように考えられた曲のほか、ショパンの「革命のエチュード」などの非常に高い技巧が必要とされる練習曲の種類がある。特に後者を「演奏会用練習曲」と呼称することが多い。

 そのため、たまにではあるが初心者が練習曲という題名に惹かれて「熊蜂は飛ぶ」などの楽譜を手に取ることがある。もちろん、その真っ黒に書き潰された譜面に目眩(めまい)を起こしてすぐに閉じることになる。
10 . February
 ムンクの『叫び』という作品を御存知だろうか。
名前は知らなくても一度は目にしたことがあるだろう。
直リンで申し訳ないがこの絵だ。

 この絵について誤解されやすいことが二点ある。
一つ目はこの作品のタイトルは『叫び』であって『ムンクの叫び』ではない。ムンクは製作者の名前であり、原題は"Skrik"(ノルウェー語)。

 次にこの絵は中央の男が『叫んでいる絵』ではない
これは『叫び声を聞いて耳を塞いでいる様子』を描いたものだ。

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